NPO法人 寝たきり半分推進協議会
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脱線自在 - 最新エントリ

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脱線自在 増えて欲しいもの 2008/11/14 9:55 am

最近、テレビのコマーシャルを見ていて、疑問が生じた。
「○○○は、加齢とともに減っていきます。だから、○○○を補いましょう。」
例えば、ヒアルロン酸、コンドロイチン硫酸、グルコサミン、DHA、CoQ10、水分、……。

何気なく聞いていたが、○○○に当てはまる単語は、まだまだある。
減っていくものばかりだ。
とすれば体重がどんどん減っていかないのだろうか。

DHAやCoQ10は、それほど体重には関係しないだろう。
でも、ヒアルロン酸、コンドロイチン硫酸、グルコサミンは、水分保持と関係がある。
体重が減るに違いない。

二十歳のときからずっと同じ体重だったら何かが増えているはずだ。

すぐ思いつくのは、脂肪。
筋肉などは使わなければどんどん脂肪に置き換わるし、肝臓などの細胞も脂肪に置き換わる。

でも、体脂肪率が変らない人だっている。
そうした場合、何が増えるのだろう。

まあ、いずれにしても、
加齢とともに減ってしまい、増えて欲しいものはたくさんある。

中でも私は記憶力を増やしたいなあ。

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脱線自在 循環器フォーラムにて(2) 2008/10/31 9:41 pm

循環器フォーラムでの内場先生の講演で印象に残ったことは、「屋根から落ちそうなおっちょこちょいを探す」という話だ。

「医者は、病気を治すことが仕事だ。いわば、屋根から落ちた人を助けるのが医者だ。今までの検診は、そうしたものだった。
しかし、今年始まったメタボ検診・保健指導は、そうではない。屋根から落ちそうなおっちょこちょいの人を見つけて、
『落ちそうだから気をつけろ』と注意をするためのものだ。
つまり、これは医者が受けてきた教育の中にはないし、医者はそのような人にどうしたらいいか知らない」

大雑把に以上のような内容だった。
これが印象に残ったわけは、医師会主催のフォーラムだったからかもしれない。

そしてこのことは、その一週間後におこなわれた「メタボドミノ研究会」でも話題となった。

的場さんのレクチャーの中で、保健師などによる介入で、体重(BMI)、収縮期血圧、中性脂肪という順で効果をあげ易いが、血糖、HbA1c、LDLコレステロールは難しいという発表があった。

これを受けて、内場先生が「医者は逆だ。医者は、薬で効果があるのは、LDLコレステロールと血糖値のコントロールだ」といわれた。

つまり、医者が得意とする分野と保健指導の得意とする分野が違うのだ。

これは、私にとって眼からうろこだった。
「医者と保健師、栄養士などがチームをつくって、対策をとらなければならない」ということの意味が、はじめて明確に納得できたのだ。

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脱線自在 循環器フォーラムにて 2008/10/23 3:11 pm

物理学に時間の矢という言葉があるが、感動は過ぎてしまうと、ドンドン薄れてしまう。
最近も二つのイベントをコラムに書きそこなった。まだ一週間もたたないのにイメージがうすれている。
とはいえ、メモを見ながら思い出したことをぼちぼちと書いてみたい。

一つは、後期高齢者医療制度に絡む話
真壁シルバートピアの宮元昭彦先生のご尽力で、茨城県桜川市真壁医師会主催の循環器フォーラムで内場先生の講演があった。

フォーラム開会の挨拶をされたのは医師会会長大圃弘先生だった。お話の中で大圃先生は、今年から施行された後期高齢者医療制度を批判をされた。
茨城県医師会が後期高齢者医療制度に対して猛烈に反発をしているというニュースにしばしば触れていたけれども、直に「今の豊かな日本を築いてきた人たちが、歳をとって役に立たなくなったから切り捨てるなどという文化は、日本の文化ではない」という内容のお話はなかなか染み入るものがあった。

このことで私が思い出すのは、姨捨の物語だ。篠ノ井線の姨捨駅には掲示板があってこの物語が書いてある。
姨捨駅は、われら内場先生の診療所から下界に降りる途中にあって、長野市善光寺平を一望の下に見下ろせるので各駅停車の旅をたのしむ人は、ここで降りての一服を是非おすすめしたい。

さて、姨捨の物語は誰でも知っていると思うが、ここで読むと山深く貧しい村の事情を直に感じられて切実さを味わえる。

その昔あるお殿様が、60歳(75歳だったかなあ!!??)を越えたお歳よりは生産性がないから山に捨てるべしというお触れを出した。
ある若者が仕方なく母を背負って山奥に入っていくと、背中の母親が道すがら木の枝を折っている。
息子が「なぜそのようなことをするのか」と聞くと、
「おまえが帰るときにみちを迷わないようにしているのだ」と答えた。
それを聞いた息子は、いかにしても母親を捨てる気にはならず、こっそり家につれて帰った。
その後、お殿様からの無理難題のお触れが出たが、息子が母親の智慧によって次々と解決した。やがてお殿様は、その智慧は一人の老婆のものだと知った。そして、老人を捨てよというお触れを止めて、領地の老人を大切にする事となった。

現代は、どうだろう。切り捨てられるのは、年寄ばかりではなさそうだ。
赤ちゃんだって、それこそ命がけだ。

今朝、都内の病院をたらいまわしにされて、結局助からなかった妊婦さんの事件が報道された。
昔は、お産婆さんが赤ちゃんを取り上げてくれた。
今は、赤ちゃんを取り上げられる能力のあるお医者さんが激減しているのだとか。
要は、年齢に関係なく弱いものを切り捨てて強いものだけを助けるための医療制度を官僚たちが作ったということなのだろうか。

さて、この事件赤ちゃんではなく、妊婦さんが亡くなっている。それはお産そのものが原因というよりも、脳溢血だか脳梗塞だかが原因だとか。

現代人は、子供時代から血管が硬くなるような食習慣、運動習慣をしているのと関係があるのかもしれない……。
(続く)

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脱線自在 いつ血圧を測ったらいいか 2008/10/07 8:48 am

朝、おしっこに言った後の血圧が高くないことが重要なことは、何度も聞いているし、理屈もわかっている。

でも、すとん納得できたのは最近、内場先生の講演のあと、高血圧の治療を受けている女性からの質問があったときだ。

女性は、ずっと血圧の薬を飲んでいて、最近では、110ぐらいになっている。
そろそろ薬を飲まなくてもいいのではないかと思うのですがという質問だった。

内場先生はいつものように「その血圧は、朝起きたときの血圧ですか」とたずねた。

女性は、その問に答えようとしなかった。
治療を受けていて、下がっていることを繰り返すだけだ。

内場先生は答えた「朝起きて、おしっこをした後の血圧が大切なのです。それが、下がったのですか」と、講演の中で女性が聞いたはずの話を繰り返した。

女性「血圧が下がってきているのです」

内場「だから、その血圧は、朝の血圧ですか」

それでも女性は、素直に話を聞いていない。

内場「朝、おしっこに行った後の血圧でなければ、薬を減らしたりする根拠にはならないのです。早朝血圧を聞かないで薬を減らしてもいいというお医者さんだったら、その医者にかからない方がいい」

女性は、まだ不満そうに立っている。

内場「医者が朝血圧を測りなさいといわないのは、そういうと患者さんがこなくなるからです。医者はみんな知っているのです、早朝血圧が大切だということを。
10分15分かけて話を聞いてくれる病院は、混んでいて待ち時間が長くなってみんな行かなくなるでしょ。
多くの病院で診察も受けずに薬だけもらえるようになっていますね。それは、本当は医師法違反なんですよ。
患者である皆さんが、きちんと話を聞いて説明できる医者を育てていくことが大切なんです」

ようやく女性は、着席した。

このやり取りの中で内場先生が「朝トイレに行って、またフトンに戻ってそのまま脳溢血などで倒れる例が多いんです」と言われたことがわたしにストンと納得できた。

私は朝、トイレに行ってから、またフトンに戻ってボーっとして20〜30分後にトイレに行ってから起きることが時々ある。
いったいどっちのトイレのあとの一時間以内の血圧の測定が重要なんだということがなんとなくぼやけていたからだ。

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脱線自在 食欲バスター法を模索する 2008/09/08 11:36 pm

「寝たきりを半分に減らそう」の講演スライドの一枚を眺めて、つくづく思うことがある。
それは、食欲という精神エネルギーの強烈さだ。

まず、スライドをみてみよう。



食事を始めると、血糖値が急激に上がる(左の高い山の赤線)。
しかし、インスリンは徐々にしかあがらない(青線)。
そしてたくさん出るようになったときには、血糖値は下がっている。
インスリンは無駄遣いされている。

食事の始めに野菜をたくさん食べると、
血糖値はゆっくりと上がる(真ん中の赤線)。
インスリンと血糖値のリズムが一致すれば、膵臓が疲れてしまわないというのがこのグラフの意味するところだ。

このような食べ方に挑戦するとして、
外食などで、野菜が少ないときはどうする?

内場先生によると、野菜百パーセントの野菜ジュースを飲んでおくことで、かなり効果が上がるとのこと。

もう一つアイデアがあるのではないかと思ってみた。
それは、「ゆっくりと少しずつ食べ始める」だ。
まず、ご飯なら5粒ぐらいを口に含んで、口の中のご飯粒がなくなるまでかんでから、また少々口に入れる。それなら血糖値が急激に上がらないのではないか。

このことを考えていると、断食の復食を思い出した。
復食のときはまず白湯のような重湯から始める。
断食期間の二倍かけて、徐々に食べ物を増やし、その後はそれまで食べていた量の八割にすることが望まれる。
そして、ゆっくりと時間をかけて食べなければならない。

ところが、このゆっくりと時間をかけてというのが曲者だった。
どのように覚悟を決めていても、一箸口に入れたとたん、
全身がものすごく興奮し、前後の見境がなくなるのだ。
重湯が口に入る直前まで「ゆっくりとかんで食べよう」など思っていたことなど、まったく頭から消え、無我夢中で次から次と口に放り込んでいる。

このとき知った、
「食べるというのはものすごい精神的なエネルギーを使っている」ということを。

断食をしなくなり、ずいぶん年月がたって、ゆっくりかんで食べようと思ったことがある。
ところが、このときもあえなく敗退した。

そして数年前、マクロビオティックの先生方と、何回か食事をしたことがある。
マクロビオティックでは、食べる順番がやかましい。ただ、当然のこと、きちんと順番を守る人もそうでない人もいた。
ただ、彼らの特徴は非常にゆっくりと時間をかけて食べていることだった。
「百回ずつかんで食べる」ことを守らせて、さまざまな病気を治している先生もいた。

現代人のリズムは早い。
自分も、相当早いようだ。

ラーメンを食べる時間を計ってみた。
ラーメン一杯、ゆっくり食べて、15分ぐらい。
思い切りゆっくり食べても、20分ぐらいしか時間がかかっていない。

こんなに早くては、インスリンがたっぷり出る前に、麺がのびてしまうなあ。

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脱線自在 悲哀を超えて 2008/08/29 11:37 pm

ときどきドライバーをしてくださっている方が、「近くまで来たのでちょっとお願いすることを思い出した」といって訪ねてきた。
用件は、2,3分で終わったが、彼の持っていた寂寞とした孤独の、惨めな想いを感じさせる雰囲気が後を引いた。

ふっと思い出した。

見渡せば花も紅葉もなかりけり
     浦の苫屋(とまや)の秋の夕暮れ
                 藤原定家

普段、見栄を張り、強がっている彼の本心を見通してしまったかのような、やるせない思いを背負ったまま、私は呼吸法・ヨーガ教室に向かった。

彼はすでに、会社をリタイアしている。
一人暮らしだ。
信頼できる友達がいない。
でも、それだけが孤独感の理由ではないだろう。
この感覚を私はつい五年前には、理解できなかった。
だからといって、私が彼に何かをしてあげられることは何もない。

このことをずばり指摘した俳人がいる。
芭蕉だ、
 
猿を聞く人捨子に秋の風いかに


野ざらし紀行にある俳句だ。

−−−−−−−−−−−−−−−−−−

私は、富士川のほとりで三歳くらいの捨て子が泣いているのを見かける。
古来猿は、晩秋にひときわ甲高い声を上げて求愛の叫びを上げる。その鳴き声が、渓谷に響き渡りいっそうの哀しさを誘ってきた。

この哀しさを味わう私も、捨て子の味わっている哀しさと同じだ。

私たちはこの富士川の早瀬の波のような浮き世の荒波にもまれて、露のようにいのちははかない。
それを想うとこの子を捨て置くしかないではないか。
秋風が小萩の根本を吹き抜けていく。萩の花は今夜散ってしまうだろうか。
明日にはしおれてしまうだろうか。

私は、袂からいくらかの食べ物を子供に投げ与えて、一句浮かんだ。

猿を聞く人捨子に秋の風いかに

おまえは、父に憎まれたのだろうか、母に疎まれたのだろうか。
父はおまえを憎んだのではない。母はおまえを疎んだのではない。
ただ、これは天命だ。
どうにもならない人間の根源的な性(さが)のつたなさを嘆くしかないのだ。

−−−−−−−−−−−−−−−−−−

捨て子を借りて芭蕉は、年齢を超えた人間存在の根源的孤独を俳句にしたのであろう。

文学は、ここまでだ。

我々は文学を超えて、孤独の裏にある世界を知らずにはいられない。
そこには、平安で静かな落ち着きと、喜びがある。

私は、ヨーガをしながらこのことに思い至った。

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脱線自在 タンパク質が足りない 2008/08/16 7:47 pm

内場先生の食に関係する話の中に、今の日本人はアメリカ人の食べ残しを喜んで食べているという、きわめて説得力のある話題がある。
私が納得してしまうのは、私にとって体験があるというだけかもしれないが、
なるほどと思のは二つのことを思い出すからだ。

話の内容は、内場先生にじかに聞いていただくこととして、ここでは私の思い出したことを書いてみたい。

一つは、
子供のころによく耳にした言葉に「タンパク質が足りない」というのがある。
はっきり覚えていないが、二十歳代でもしばしば耳にしたと思う。

私の二十歳代というと、1960年代である。
そのころまでは、日本人は戦争に負けたのは、肉を食べなかったからだと思い込んでいた。
肉を食べないから、体も小さく体力がないと、考えていた。
そして健康優良児などと言うのがいて、そういう少年は身体が大きいというだけで賞状が出た。

タンパク質が足りない、という言葉を思い出すと、その連想でもう一つのことを思い出す。
それは、1992年に角川書店から翻訳出版され、今では絶版になっている本のことだ。

「エコロジカルダイエット--生き延びるための食事法」というこの本は、20000円でも売れるのではないかと思うほど、欲しがっている人はいるが、初版が出た後、なぜか絶版になって、未だに再版の予定はないという。

今もアマゾンで古書を調べてみたら、一番安いのでも8500円と値段がついていた。

著者ジョン・ロビンズは、アメリカの食肉産業の最大手メーカーのオーナーの御曹司で、その後を継ぐへく帝王学を学んで大人になった。
ところが、何が気に入らなかったか、家を飛び出して、結局はヨーガを教える身分に落ちぶれたのである。

そして、巨大食肉産業が巨額の富を得るためにとんでもないことをしているという内幕を暴露したのである。

書き出しは、動物と言うものは人間には考えられないような賢さも、愛情も持っている。
鳥かごのとりでさえ飼い主が危険にさらされると助けを呼びに何キロも離れたところまで飛んでいく。

そのような動物たちを巨大食肉産業は、きわめて残酷な飼育方法で育て、残忍な殺し方をしている。
そして、小さな子供たちが肉を喜んで食べるように画策をした。

その方法は、「動物たちが喜んで人間に食べられたがっている」という内容の絵本を全米の幼稚園に配布するというものである。

その結果、アメリカ人は不健康になり、環境の汚染と破壊が広がっている。
内幕を知っている人にしか書けないような内容を書いた後、彼は次のように問う。

「人間にとって、タンパク質はどのくらい必要なのか」
さまざまな研究を調べ上げて彼は、栄養素の6%〜12%あればいいと結論している。
しかも、少なくていいと言う結果が出るような研究には、食肉産業界からの妨害があってしばしば、中断されていることまで触れている。

タンパク質が6%程度の食べものは何かというと、お米ですよと彼は言う。

そうなると、納豆か豆腐とご飯で、タンパク質は足りてしまう。

思い出したことはここまでだが、書いていて新たな連想が沸いてきた。

今の日本の健康産業では「アミノ酸が足りない」と騒いでいることだ。
例えば、
「○○酢には、アミノ酸がたくさん入っています。だから、健康にいい」

初めてコマーシャルを見たときは、耳を疑った。
酢の材料は米だ。
米を酢にすれば、中のタンパク質はアミノ酸になっている。
とすれば、これは米のタンパク質を強調しているコマーシャルといえるかもしれない。

それにしてもまだ、日本人はアメリカ人のようにでかくなりたいのかなあ。

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脱線自在 ナスの味 2008/08/09 9:04 am

猛暑が続く毎日だが、7月末ごろから少しずつ朝の空気が変わり始めている。
それに、おとといは立秋だ。
さわやかな秋風まで、もうちょっとなのだろう。

内場先生の話は、聞くたびに違った内容が心に伝わって、飽きることがない。
昨日は、夏のナスと、秋ナスの味の違いがわかるかという話から、興に乗ってきた。

聞きながら自問する。
生のナスをかじってみることがあるが、季節による微妙な変化には関心がなかったなあ。

話のポイントは「野菜がまずいと思うのは、おいしいという脳のチャンネルが開かないからに過ぎない。味をつけないで食べていると、ある日あるときポンとチャンネルが開いて、野菜のおいしさがわかる」というものだった。

帰途の電車の中で、この話から運動による感受性の目覚めについて思い出した。
それは、筑波大学の征矢英昭先生から聞いたものだ。
征矢先生は、もともとランニングの選手だったが、研究生活に明け暮れるのと、学内の雑事に翻弄されているうちに、心身の調子がおかしくなった。病院へいっていろいろ検査してもらったが、ここが悪いという決め手が見つからない。
そんなある日、しばらく運動をしていないことを思い出して、ジョギングを始めた。

「ジョギングから研究室に戻ると、空気が汚れていることに気がつく。部屋の埃や散らかっていることに気がつく。それで掃除を始めるのです」
そんなことをしているうちに、心身の調子は改善したという。
征矢先生は「運動をすると感受性が高まるのです」と、その話を結んだのだった。

感受性といえば、自分は朝と夜とでは、音に対する感受性が違うことに最近気がついた。
朝、テレビをつけるといきなり大きな音がする。
それでボリュームを絞って聞くが、そのボリュームで夜聞くと聞きづらいので、音を大きくする。
そして、朝になると、うるさいと思う。

どうしてだろう。

朝は、基本的にストレスホルモンとも呼ばれているグルココルチコイドの濃度も高いし、交感神経の活動も高い。
活動をするための、そういう内的環境は、やはり身体は感受性を高めているのかなあ。

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脱線自在 もしかするとK2の遭難は温暖化が原因? 2008/08/04 6:18 am

8611mの世界第二の高峰K2で、頂上付近の氷の塊が崩落して韓国の登山隊員6名が亡くなったという。
痛ましい事故は、近くにそのほかの国の登山隊もいるので、被害はもっと大きいかもしれないというニュースが、今朝のニュースサイトで報じられていた。
http://sankei.jp.msn.com/world/korea/080803/kor0808032218008-n1.htm

私も歳のせいなのか、今年の猛暑は特別にこたえる。
ヒマラヤの夏も、氷壁が崩れるほどに高温になっているのか。
温暖化という現象は、本当にそうなのかはわからない部分が大きいと私は考えている。
けれども、人間の営みがもし、温暖化を呼び起こしているとすれば、それは文明の老化現象と、捉えることもできよう。

とすれば、温暖化は体で言えば活性酸素が異常に発生し続けていることといえるかもしれない。

オリンピックのヨットの会場となる海域に、藻が繁殖して、ヨットが走れなくなるという現象は、血糖値が高い状態が続いていることと同じかもしれない。

内場先生の最近の講演のなかで、歳をとっても血圧が上がっていかない民族がいるという話があった。
それは、塩分を取らない民族だからだとか。

文明の老化現象も、われわれ人間の生活習慣が変われば、もっとずっとゆっくりと進行するのだろう。

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脱線自在 やさしいほど厳しい 2008/06/08 10:52 pm

「いつもは、もう2〜3センチ少ないんですけど」
「今日は厳しく計っていますから」

「もっとぎゅっと締めてはかってください」
「そんなことをしたら、腹囲が減ってしまうじゃないですか。少なくていいのは、ゴルフのスコアぐらいです」

信州大学公開講座の「シニア健康講座」の本年度の第一回が6月8日に行われた。
参加者の体力測定の中で私は、男性の腹囲測定のお手伝いをした。
「メジャーを当てて測定するのって、客観性があるのかな」

いまや特定検診が義務だ。
日本中どこでも行っている。
でも、同じ被験者を測定者Aと測定者Bとで測ったら、腹囲は数センチは違うだろう。

それに、いかにもメタボ腹だと思える人でも、82センチ程度だったりする。
男性85センチがメタボ基準というのは、見た目で主観的にそう思えるのと比べて、どのくらい根拠があるというのか。

特定検診てどんな意味があるのか。
日本は法治国家。
法律に基づいた事業だけが正しい。
これでいいのだ!!

とはいえ、シニア健康講座は面白かった。
信大の先生の指導で、エクササイズが行われたが、だんだんもりあがって、こういう取り組みなら継続できるなと思った。
実際、五年間続けて参加している方々も大勢いたようだ。
エクササイズは、私も取り入れようと思ったものがいくつかあって収穫だ。

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